金沢大学・血液内科・呼吸器内科
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2011年09月26日

末永孝生先生(近況報告):亀田総合病院


末永先生

 


金沢大学第三内科(血液内科)出身で、現在、亀田総合病院の血液・腫瘍内科部長の末永孝生先生から、同門会報用の原稿をいただきました。

末永先生のご許可をいただきましたので、ブログ記事としてもアップさせていただきたいと思います。

管理人が金沢大学第三内科に入局したときに、大変お世話になった大先輩です。

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近況報告(亀田総合病院 血液・腫瘍内科  末永孝生先生より)

早いもので金沢を離れてからもう21年なりました。私が亀田総合病院に来た頃は医局を離れては開業以外では生きていけない位の時代でした。今のように多くの若い医者が大学を離れて様々の病院で卒後の臨床修練をつむなど考えられない位大学の医局が力をもっていました。

亀田総合病院も例外ではありませんでしたが、当時から一般の病院に比べて大学派遣の医師の割合は低く、半分くらいが医局人事、また半分くらいが医局と関係なく動いていました。現在の亀田では400人位の医者の内、医局人事で動いているのは5%程度でしょうか。ほとんどが金沢大学関連の人ばかりだった北陸の病院と違い、色々なバックグラウンドを持った個性的な人たちが多く活気に溢れていました。関東に来たんだという実感がありました。

亀田総合病院に来て最初に驚いたのが、病院に大きめの図書室があり、司書がいたことでした。北陸にも図書室のある病院はありましたが、司書を置いているところは初めてでした。さまざまの雑誌も購読してあり図書の関連の予算が当時で毎年1000万円程度ついていると聞かされました。

 

亀田総合病院は当時からアメリカ人の医師を研修医の教育用に雇い広く研修医を募集していましたが、当時は6−7人程度の応募しかなく応募者は全員採用していました。今は研修医の応募も多く18人の定員に対してジュニアレジデントの平均の倍率は3−5倍程度です。

血液・腫瘍内科では大体毎年1人しかとれないところに4−6人の応募があります。血液を志す医者が少ないのに贅沢なのですが、各科に割り当てられる採用予定研修医数は1−2名までなので仕方ありません。

以前は当院で初期研修を終えた後、アメリカでの臨床研修を目指す人も多くいましたが、最近は亀田での後期研修をおこなう若い人も多くなり病院の活力となっています。また欧米や全国の病院で研修後また亀田で働きたいと戻ってくるヒトも多くいます。

今でこそ全国的に名が知られるようになっていますが、当時はまだそれほど大きくなく家庭的な雰囲気がありました。病院全体での忘年会は近くのホテルを借りてとか、病院のスキー旅行、ゴルフ大会などもありました。テニスコートもあり夕方時々テニスをしていました。最近は病院が大きくなりましたが、健保組合のテニスコートは近くに6面がありいつでも利用できますし、体育館もあり利用する人も多いようです。

 

亀田総合病院では15年ほど前から電子カルテに取り組み現在では完全にペーパーレスとなっています。電子カルテ自体は病院のオリジナルで医師や看護婦が使いやすいようにカスタマイズされています。このための専属のプログラマー等のチームも院内にいるため必要な変更が比較的容易に行われていました。

ただ、ウィンドウズをベースにしているためウィンドウズのアップデートによってカルテシステムもアップデートしなければならない点が問題となっています。しかし電子カルテに慣れてしまうと手書きカルテでの診療録の記載は考えられなくなっています。ワープロで書くことによりカルテの内容もより詳細に整理されたものとなり、また様々の診断書、証明書のたぐいの書留等も簡便なことから今では電子カルテなしでの診療は考えにくいほどです。

 

血液腫瘍内科はシニアレジデント以上のスタッフは現在6人—7人でその他にジュニアレジデントや他科からのローテーションで70人前後の入院患者を診ています。

年間の患者さんは白血病20−30人、リンパ腫60−70人、骨髄腫20−30人程度です。

出身大学は様々ですが、金沢大出身も2人おりいずれもスタッフ、シニアレジデントとして活躍しています。

移植も同種移植を年間大体20−30例、自家移植を5−10例行っています。

学会発表等も積極的に行っており血液学会には毎年5−6題、またここ数年はアメリカ血液学会にも発表できるようになってきています。抄読会も大学にいたときと同じように、重要な論文の全訳を課しています。

基礎的な研究は困難ですが、電子カルテの利用とも相まって臨床的研究は大学よりも行いやすい気がします。

私の方は今でこそ自分の受け持ちは無くなりましたが50歳頃までは自分で受け持ちをしていました。IVHやヒックマンカテーテルも自分で入れていましたが、ここ数年は年に一度入れる程度です。人工呼吸器等の扱いは全くできなくなっています。

 

こちらに来てから変わったのが病理標本を自分で見るようになったことです。血液病理は病理の先生も苦手とする場合が多く、特にリンパ腫の診断は奥深いものがあります。

病理部長の協力をいただき、赴任と同時に導入してもらったFACSでリンパ腫の表面抗原の解析をしているうちに病理標本と対比するようになりました。5年ほど前からリンパ腫の病理を癌研の竹内賢吾先生に指導してもらっています。今ではみんなそこそこに血液疾患の骨髄生検標本やリンパ節標本をみれるようになっています。血液内科医は骨髄スメアだけではなくてリンパ節標本をみて染色も指示できる程度になっておくべきだと思うようになりました。

 


個人的には、60歳をこえ子供も成人してしまいこの先の残された期間何をしようかと考えるべきなのですが、実はこの文を書くまで余り考えたことはありませんでした。まだしたいことや興味のあることはいくつかありますが、それは毎日の仕事の中で出てきますしまた変化してゆきます。時々疲れたなと思うことはありますが、興味を持てることがあるうちはそれに打ち込もうと思っています。恩師の原田実根先生がphysician scientistを目指すべきだと言っておられましたが、自分もそうありたいと思っています。

 

【リンク】

 

投稿者:血液内科・呼吸器内科at 01:22| その他